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インドネシアの朝は世界でいちばん早い?!

インドネシア派遣3日目の早朝4時頃。

その日控えていたプレゼンの最終調整に暮れ、前夜から議論が難航。ようやく目処が立ち、さて眠りに就こうとしていたときのことです。夜はだんだんと明けはじめ、朝靄に包まれるジャカルタの摩天楼を横目に。そのとき、私は、遠くで鳴るかすかなメロディーを耳にしました。

このメロディーの正体を、数日後に私は計らずも思い知ることになるのです。

 

インドネシア派遣5日目の早朝4時半頃。

前夜から、1日限りのホームステイの日でした。私は、また同じメロディーを耳にしました。耳にした、などという生易しいものではありません。それはもう、途方もない爆音でした。どこからともなく聞こえる大音量のメロディーに私は飛び起きました。そして、おそるおそるベランダのドアを開けて外の様子を伺いました。

 

インドネシアの朝は世界でいちばん早い!

 

これこそが、インドネシアの朝が世界でいちばん早いと言われる所以です。

 

正体は、イスラム教の礼拝への呼びかけの歌です。要するに、お経のようなものです。イン・アラビア語です。「アザーン」と呼ばれるこの歌は、近隣のモスクから放送されています。毎日欠かさず生放送だそうです。

下の写真は、独立記念塔・モナスの展望台から撮影したインドネシア最大のモスク「イスティクラル・モスク」です。画面右方に見える巨大な尖塔は、アザーンを放送するための施設です。

拡声器もなかった時代には、肉声で伝えていたそうです。一体、どれだけの声量があれば声が届くのでしょうか。想像もできません。

 

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毎朝、お祈りのために早く起床するため、インドネシアの朝は早く始まるのです。なんでも、大学の講義が朝7時ごろから始まるのだとか。全く起きられる自信がありません…。

 

インドネシアでは、イスラム教、プロテスタントカトリックヒンドゥー教、仏教、儒学の6つが国教として定められており、このいずれかを信仰することが憲法で義務付けられています。なかでもイスラム教徒が国民の大半を占めいているため、このような風習ができたことも納得です。

 

ホームステイの夜はなかなか寝付くことができず、12時過ぎに就寝。その後、爆音のために4時半頃にうっかり起床してしまい、その日の睡眠時間は4時間程度。そのまま、炎天下、慣れない異国を観光し、その日の夜、熱中症気味で体調を思いきり崩して寝込んだことは、今となっては良い思い出です。

 

イスラム教のお祈り

 

イスラム教では、1日5回、聖地メッカの方角を向いてお祈りをする、という話は有名です。夜(8時頃)、早朝、正午過ぎ、夕方(15時頃)、日没、の5回です。

このお祈りの文化については近年わが国でも理解が進み、ショッピングモールや職場などにお祈りのための部屋を設けたというニュースを耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。

 

プログラム中に上記のイスティクラル・モスクを訪問したのですが、ちょうど到着した時間が夕方のお祈りの時間でした。ガイドの方にお祈りの作法を教えていただき、実際に体験してみました。

 

 

 

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上の写真にある、薄い色のタイルで区切られた濃い色のタイルのエリアが、一人分のお祈りスペースです。この長方形も、聖地メッカにあるカーバ神殿の方角を向いています。

大きく体を動かし、立ったり正座したり、地面に頭をつけ、深く前屈したり。正座も、ただの正座ではなく、足を奇妙に組むような姿勢をとることも。これが、なかなかキツく、慣れない姿勢に痛く感じました。一連の動きは「ラアクト」と呼ばれており、私は、この動きからマイブームのヨガの動きを連想しました。

実際に、ガイドの方の話では、お祈りの一連の動作には、柔軟性を高め、血行をよくする効果もある、とのことでした。

確かによく効きそうな動きでした。

 

お祈りの際には、ロングスカートのような布を腰に巻くのが伝統的な風習です。寝る際にも同様にロングスカートを巻くのがトラディショナルらしく、私もトライしたのですが、なにぶんこの布、とても薄いので、冷房で無防備なお腹を冷やし、見事にお腹を壊しました。

 

まちづくりと宗教

 

インドネシアでは、モスクを中心としてまちづくりがなされているそうです。一つひとつのコミュニティは「レジデント」と呼ばれます。レジデントにはモスクがあり、そこを中心として小学校や公園が整備され、そこに人々が住居を築き、街をつくります。隣町でも、またその隣の町でも同じように、モスクを中心としたレジデントが連なっていきます。

つまり、モスク(あるいは宗教)を介して、近所ぐるみの一つの地域コミュニティとして密接に繋がっているのです。

丘にあるアクロポリスを中心に集住した古代ギリシア都市国家を連想しました。

無心論者が主流である日本では滅多に見られない光景かと思いますが、アメリカなどのキリスト教国でも同様で、同じ教会に通う人同士でひとつのコミュニティとなっています。

まとめると、「共通の道徳規範として宗教を重んじ、その中で地域コミュニティを築く」といったところでしょうか。宗教の機能の意外な一面を知りました。