じぇねろぐ。〜for new generation〜

世界のこと、留学のこと、ありのままに

あるべき姿

 皆さんは、スーパーやドラッグストア、はたまた飲食店などで店員に対してどのように接していますか。ぶっきらぼうで、タメ口を使いまるで旧知の仲のように、または命令するかのように話しかけていませんか?

 そして、店員が少しのミスをした場合、執拗に責め立てていませんか?

 

店員も人間だ

 最近私は接客のアルバイトをしていて思うことがあります。
私たちのような接客をしている者はロボットではありません。接客という労働を行い、その対価としてお金を頂いているただの一般人なのです。嫌な対応をとられたら腹が立ちますし、お礼を言われたらうれしいものです。そして業務中にミスもします。当たり前ですが……

 私は客として、お店を利用するとき、敬語を使い、丁寧に話すようにしています。お会計が始まるとき、または何かを注文するときは「お願いします」と声をかけ、お会計が終わるとき、お店を出るときには、「ありがとうございます」「ごちそうさまでした」と声をかける。そうすれば、私も、そしてお店の人も気持ちよく過ごすことができるからです。

  この意見を聞いて、「当たり前だ」「何も褒められるようなことではない」と思う方も多いことでしょう。

 

そうです。当たり前です。褒められるようなことは一切ありません。
そう思ったあなたは立派だと思います。

 私が言いたいのは、何の変哲もない一般常識です。では、なぜそんな誰でもわかることを発信しようと思ったか。
そんな当たり前のことができていない人が想像以上にたくさんいるからです。

 

お客様は神様か

 よく「お客様は神様」だと人は言います。しかし、それは店員やその経営に携わる者の、良いサービスを提供しようという理念でしかありません。私たちは神様ではありません。私たちはお金を支払い、そしてお店の人にサービスを提供してもらっている、ただそれだけです。そこにあるのは対等な関係です。対等な関係に年収の上下も、年齢の上下も、立場の上下も関係ありません。

 

店員にぶっきらぼうに命令口調で話しかけると、自分が優位に立っているかのようにでも感じるのでしょうか。そこで優越感に浸っても、得られるものは店員の嫌そうな態度や顔だけだと思いますが……
それとももしかしたら、どうしようもなくイライラしていて、自分に余裕がないからそういう態度をとってしまうのでしょうか。そういう場合は、人に当たるよりも、自分の趣味に没頭する方がよっぽど気持ちよくストレスを解消できると思います。あるいは、あえて丁寧な態度で接してみれば良いと思います。少しだけ楽になれるはずです。

 

店員に粗雑な態度をとって、嫌な気持ちでそのお店を利用するのか、それとも丁寧な態度をとって、お互い気持ちよく利用するのか、あなたならどちらを選びますか?
わたしなら、断然後者を選びます。気持ちよくお店を利用できたならば、またそのお店に行こうと思いますし、お店側としてもそのお客にもっと良いサービスを提供しようと思えます。お互いにとって有益になるのなら、雑な対応をとるメリットなどないと思います。

 終わりに

 私の意見はアルバイト経験の乏しい、そして社会経験のない、ただの一大学生の稚拙な考えでしかないのでしょう。しかし、「人に何かしてもらったらお礼を言う」、これは小学校で習うことです。小学生でもできることなら、いい大人にできないわけがありません。私たちは集団の和を重んじる国で生まれ、育ちました。そんな日本人にとって礼儀は基本中の基本であると思うのです。

礼儀を大切にする姿勢こそが、日本人の「あるべき姿」なのではないでしょうか。

 

今まで丁寧な態度をとってこなかったあなた。


お店の人に少しでも丁寧な態度で接してみませんか?

少しだけ、買い物や外食が楽しくなるかもしれませんよ。

 


そして、どんな人にも優しく接してみませんか?

今までより、少しだけ人生が楽しくなるかもしれませんよ。

黄色信号はダッシュのサイン?

 

 いま、あなたは徒歩でデートに向かっています。気になる女の子との待ち合わせの15分前。待ち合わせ場所まであと5分はかかる。けっこうギリギリです。もしかしたら女の子を待たせてしまっているかもしれない。そんなとき、歩行者信号が点滅。横断歩道に足を踏み入れる刹那、赤に変わります。しかし、シルバーカーを押したおばあちゃんがまだ横断歩道の真ん中あたりを歩いています。あなたならどうしますか? 

 

 止まりますか? ダッシュで渡りますか?

  

あえて「立ち止まる」こと

 

 私は最近あえて「立ち止まる」ことを意識しています。待つことを意識的に行っています。

 たとえば、地下鉄の長いエスカレーターをドタドタと駆け下りていく人、よくいます。しかも、その人が通ったとき、エスカレーターがめちゃめちゃ揺れるんですよ。せめてもうすこし静かに降りてくれと思います。

 ドアが閉まる直前で満員の地下鉄に飛び込む人もよくいます。歩行者信号が赤に変わっても車道の信号は赤になっていなければ、颯爽と横断歩道を駆け抜ける人もいます。すぐ近くに横断歩道があるのに(しかもちゃんと信号もついている!)、車通りの多い道に飛び出し、無理に渡ってしまう人もよく見ます。

 かなり偏見めいたことを言うと、そうやっていつも急いでいる人はたいていそろいもそろってシワの伸びていない服に身を包み、斜め下を向いていたり顔をしかめていたり、複雑そうな表情で歩いています。お世辞にも、あまり幸せそうに見えません。

 

 たしかにわたしたちはいつも何かに追われています。課題を提出しなければならないしテスト勉強もあるし、バイトにも行かなければいけないし、その中で、自分の勉強もしたいし友人と遊びたいし流行りの音楽だってチェックしたいしYouTubeも見たいしネットでくだらない情報だって仕入れたいし、もちろん、ゆっくり休まなければいけない。

 大人の世界は知らないけれど、今の忙しさなどとうてい足元にも及ばず、ずっと多忙を極めるのだろうなあ、とぼんやり想像していたりします。

 

イライラしても一日、ワクワクしても一日

  

 しかし、世間知らずな貧しい経験則でも言えることがあります。

 それは、1つ前の信号で渡れようが渡れまいが、エスカレーターで歩こうが止まろうが、そんな小手先で必死に稼いだ数十秒で成せることなんてない、ということです。

 信号なんて変わるまで2分もない。エスカレーターだって、そんなに時間はかからない。

 そんなところでイライラしてしまうことこそ、損じゃないですか?

 イライラしていると疲れます。仕事の効率だって落ちます。それなら潔く諦めて待てばいいと思います。イライラしても一日、ワクワクしても一日。それならばわたしはワクワクしていたい。

 

 そして、ちょっとした待ち時間はしっかりと「待つ」のです。待つことに集中するのです。

 そして、待っている間に頭を休めます。とても短い小休止をもらえた気になります。あるいは自分の頭の中を整理します。いま何をやらなければいけないのか。そしてその優先順位。帰ってからやることを具体化して整理します。さらに、やる気を出すために簡単ですぐ終わるものを最初にやろう、という風に作業のとっかかりの段取りまで決めてしまいます。

 こうすることで「なんとなくやりたくない」タスクに対して前向きになります。家に帰ったらすぐにでも作業を始める気分になります。集中するまでにかかる時間がグッと短くなります。

 

早く集中できることはたいてい、時間に限りのある現代人にとってとても大きな武器になります。帰宅後ダラダラとスマホを見てしまう1時間をフルに集中できれば大きなアドバンテージです。1時間だけでも毎日なにか特定のことに集中し積み上げたら、若い人ならきっと驚くほど上達できます。

 

 効率を求めるあまり、時間に追われてイライラしていませんか?

 イライラの原因を取り払ってみましょう。

 たとえば、遅刻ギリギリの時間にいつも家を出てしまうなら、あと5分だけ家を早く出ればいい。方法は簡単。いつもより早く起きればいいんです。

(そして、実はもっと簡単なイライラしない方法がありまして。というのも「間に合うことを潔く諦める」ことです。しばしばこれによって解決することもあります。たとえば人と待ち合わせているわけでもない個人的な用事に向かっているときとか)

 寝る時間が短いなら増やせばいい。方法は簡単。早く寝るだけです。

 なんとなくユーチューブを見ている毎日の2時間、本当に必要ですか? 試しに、「ユーチューブを見る日」を決めてみましょう。週2回くらいを目安に。

 なんとなくツイッターやインスタを見ている時間、必要ですか? 夜が明ければ友達に会えますよ。

 だいじな連絡がくるかもしれない? 朝早く起きて確認すれば何の問題もありませんよ。

 どれもこれも、方法は簡単。なにかを捨てて、空いた時間をスライドさせ得ればいいのです。子供向けのパズルみたいで簡単でしょう?

 

 そんな風に、目先の数十秒の使い方を変え、人生を豊かにしてみませんか。

ネガティブ日本人

 初めに、みなさんに一つ質問をします。

 

「日本人の良いところってなんでしょう。」

 

 答えられた人、素晴らしいと思います。これからも日本人であることに誇りを持ってください。逆に、何も思い浮かばなかった人も多いのではないでしょうか。

 

 みなさんこんにちは。私は今、留学生と一緒に授業を受けているのですが、その授業で行ったディスカッションのテーマが

「日本人学生から見た日本人学生と留学生の印象、留学生から見た日本人学生と留学生の印象」でした。

 それぞれに対して多くの意見が出たのですが、日本人が日本人について言うとき、ほとんどがネガティブな意見だったのです。

 そこで今回は、授業内での興味深い議論の内容をまとめて紹介します。

 

 

 

日本人の集団意識

 

 最も多く挙がったのは、日本人は物事をはっきり言わない、という意見。日本人学生、留学生ともに同じ認識でした。確かに今までの経験を考えてみると、日本の授業でも意見はあまり出ませんし、空気を読むことが重視される国です。1聞いて10理解しろと言われます。

 いわゆる”High context culture”ですね。日本では他の国に比べて、コミュニケーションの際に言葉よりも背景や雰囲気を大事にする傾向があります。みなさんも物事をはっきり言えない、もしくは相手が言ってくれない経験をしたことがある人は多いのではないでしょうか。

 

 そこで私たちはなぜ日本人は物事をはっきり言わないのかを考えたのですが、大きな理由として日本の集団意識の強さが考えられます。日本では集団からはみ出さないことを重視されます。出る杭は打たれるということわざが生まれるくらいに。人と違ったことを述べ、悪目立ちすることを避けるために物事をはっきり言わないと感がられます。

 そして、この目立ちたくないと言う国民性がネガティブな思考を生み出しているのではないでしょうか。自虐すればたとえ自分が失敗しても目立たず、自分を守ることができますから。

 悪いように書きましたが、留学生から周りと同調して行動することが悪いというわけではない、と言われました。協調性は生活に必要な力です。しかし、周りに合わせて自分の意見を我慢してしまうというのが問題だと言われました。

 私個人としては、全員が周りを見ずに自分の意見を言うだけでは集団は成り立たないと感じます。もちろん協調性は必要です。しかし協調性を考えるあまり、口を閉じてしまっていては何の解決にもなりません。だから、人の意見に耳を傾けつつも意見を考えついた時は遠慮なく言う、この方法がいいと思います。たとえその意見が間違っていたとしても、一つの意見から良いアイデアが思い浮かぶこともあるため、協調性を持つことと自分の意見を飲み込むことを混同してはならないと考えます。

 だから、月並みな言い方になりますが、集団の中では相手を尊重しつつ自分の考えは飲み込まない。これが大切なのではないでしょうか。

 

 また、日本人は周りの目を気にしすぎという意見もありました。例えば大学の講義室で、日本では一番前の席に座るのが恥ずかしいと私たちが意見を言った際、かなり驚いており、前から席が埋まる国もあると聞きました。

 この考え方も、ものをはっきり言わない理由と同じように、目立ちたくない、という考えの人が多いからという結論になりました。

 

 

排他的と思われている

 

 さらに、日本人は排他的であると言われました。それは日本が多民族国家でないことに起因するのではないでしょうか。

 私がインドネシアの観光地に訪れた際、現地の見知らぬ子供たちが写真を撮ってと寄ってきました。日本で、日本の子が海外の観光客に声をかけるという状況が想像できるでしょうか?

 少なくとも自分は想像できませんでした。むしろ外国は怖いというイメージを植え付けられていた人もいるのではないでしょうか。

 そのように自分と価値観が違う人を拒絶すれば、多文化社会で生きてきた人々にとって排他的と思われるのは仕方ありません。

 

日本人に対するいいイメージ

 

 その一方、日本人は見知らぬ人にも優しいという意見もありました。ある留学生が日本に来たばかりで郵便局の場所が分からず困っている時、一人の日本人が言語が通じないながらわざわざ郵便局まで一緒に来てくれたそうです。

 そのほかにも、日本人は誰にでも丁寧に挨拶してくれる、という意見も頂きました。

 

 これらの良いイメージも人による、といってしまえばそれまでです。しかし、日本人の性格にいいイメージを持ってくれている。この事実は単純に嬉しく、これからも誇りに思うべきだと感じました。

 

終わりに

 

 今回は大学の講義で話題に上がった日本人の特徴を挙げましたが、日本人の悪い特徴を単純に直せばいいのでしょうか。

 私はそうすべきではない、と考えます。実際日本人に対するネガティブなイメージがあるのは事実です。ただ、仕事や議論の時に切り替えできればいいと思うのです。確かに日本人の物事をはっきり言わないことや謙虚すぎる特徴は社会においてはマイナスに働くこともあるでしょう。

 

 一方、日本の考え方から生まれるいい行動があるのも事実です。

 だから、理想論でありますし、ずるい言い方にはなりますが、築いてきた文化による性格を真っ向から否定するのではなく、状況による考え方、行動の「切り替え」が重要だと思うのです。

比較!日本と海外の年金制度!

 

 

こんにちは。先週までの投稿でインドネシア関連のブログに一区切り付きました。今週からはより自由に多角的な視点で投稿をしていきたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

さて、私事ではありますが先日ついに20回目の誕生日を迎え、成人となりました。海外に目を向けると、ほとんどの国々で18歳からは成人です。良いことか悪いことかわかりませんが、とにかく日本は珍しい国なのですね。20224月から日本の成人年齢18歳に引き下げられます。つまり200242日から200441日生まれの方々はこの日に成年に達することになります。おめでとうございます。

 

成人するにあたって様々な権利がもらえますが同じく義務も増えます。その一つが国民年金です。無知の私は訳も分からず、この前手続きを済ませました。日本の公的年金制度のこと、それから海外ではどうなのか、気になったので調べました。そこから社会保障の背景には様々な価値観が存在することを学びました。今週は公的年金制度について日本と海外の比較をしながら伝えていきたいと思います。

 

日本の公的年金制度の仕組み

日本の公的年金には基礎年金と厚生年金の二種類があります。基礎年金は成人した時から原則60歳までの支払い義務があるもので、約16000円毎月支払います。学生等所得が少なく保険料を納めるのが難しい場合は免除が利きます。もう一つの厚生年金は就職してから月給の約18(半分は会社負担)を納めるもので、同じく60歳まで支払います。厚生年金は所得が多いほど納める額も増え、将来もらえる額も増えます。これら保険料と積立金、国庫負担で65歳以上の世代、障がい者等の社会的弱者を支えます。もちろん私たちが同じ立場になってももらえます。(詳しく書くと長くなるのでこのあたりでやめます。)支払うのが嫌だなぁとか、損することもあるのではないかと思った方が少なからずいるでしょう。そう思ったかたは次も読んでください。

 

日本の社会保障の理念

日本の公的年金制度のテーマは生涯にわたる安心です。損得勘定ではなく日本人みんなで老齢や病気に対して支えあい安心して暮らせることに最大の価値があるという考えに基づいています。昔は家族で働けなくなった祖父や祖母、けがや病気を持った人を支えていましたが、核家族化が進んだ今日ではそれが難しいです。国民全体が支えあうこの仕組みが昔の助け合いの代わりになっています。そんなことを言っても、自分で資産運営したほうがいいという人もいるかと思います。しかし、自分がいつまで生きられて、それに対しどれほどの貯蓄をすればよいのか、いつ事故や病気で所得を失うか、物価がどう変化するのか、予測がつかないですよね。実際平均すると高齢者の所得の約7割が年金だそうで、国民の生活にとって公的年金制度は重要な柱になっています。

また、最近若い世代にとって年金制度は不利だという話もありますが、何度も言う通り、生涯わたる保険だと思えば損得で考えなくてもよいと思いますし、日本の年金制度が破産することや納めた額より貰える額が少なくなるといったことは無いと、日本政府は断言しているので、実際に損をするということも無いでしょう。

 

海外の場合

海外と日本を比べた時に、まずわかりやすい大きな違いは、所得がない者に対しての加入義務の有無です。日本は全国民に加入義務があるのに対して、アメリカやドイツなどでは無業者はその義務がありません。こういった国には日本の基礎年金にあたる部分がありません。主要各国を見てみると実は加入義務のある国のほうが少ないです。他の国は完全に適用範囲外だったり任意だったりします。特にアメリカは努力した高所得者は報われて当然といったような市場主義的な考えが根付いており、年金に限らず社会保障の力はとても弱いです。市場主義的な制度には共感できる点もありますが、長い目で見たときに国民全員の幸福を目指していく日本の制度のほうが良いのではないかと、私は思いました。

 

また、全国民に加入義務のない国にも違いがあります。たとえば社会保障が充実している北欧のスウェーデンの場合、一定以上の所得がある人から保険料を徴収しますが、年金は全国民に適用されます。これは無所得、低所得者に対してのみ国庫負担で保証金をだしているからです。その一定以上所得がある国民には所得比例年金として、所得に応じた年金が支給されます。とても弱者にやさしい制度となっており、良いサービスを受けるためにはそれなりの負担をしなければならないという、北欧ならではの高福祉、高負担の考えが根付いています。

 

他にも一定以上の所得がある者が一定の年金をもらえ、あとは個々人で年金の運営をするというイギリスのような国や、軍人や公務員と一般職とで異なる制度を適用しているインドネシアのような国もありました。

 

最後に

日本で暮らし、日本人らしい考えがわかる私からしたら、日本の公的年金制度は理解しやすいものでした。しかし今回海外に目を向けると様々な違いを知り、中には納得できないようなものもありました。そこには各国の経済状況、歴史的背景や国民性などが背景に絡んでいるのでしょう。今回は厚生労働省日本年金機構のサイトを参考にしました。気になった方は調べてみましょう。難しいテーマでしたが、たまには頭を使って複雑な社会の仕組みについて考えるのも悪くはないですね。それではまた来週!!

新興国インドネシアの現状と課題 後編

 このブログは前後編に分かれています。今回は後編です。前編を読んでいない人はまず前編をチェック!

 前編ではインドネシアの開発についての課題に触れましたが、今回のブログでは衛生環境の課題や貧富の差などの課題について触れていきたいと思います。

 

 

 

インドネシアの衛生環境

 

ヒロ「インドネシアの開発の課題について話してきたけど、ほかにインドネシアに行って気になった点はある?」

 

タカシ「衛生環境が大きな問題だと思う。トイレとか水周りの汚さは結構気になったし」

 

タクヤ「どのトイレに行っても基本的に一つは壊れているものがあった。張り紙は無いからトイレを使ってしまうけど、流すことができず放置すると細菌が増殖して病気や匂いの温床になってしまう気がした」

 

カイト「ホームステイ先のトイレの床はビチャビチャで、しかもスリッパもなかったんだよね。そのことも細菌の増殖を助長している一因じゃないかな。濡れた足を洗うこともないし、もし感染症にかかったらすぐ家族に移ってしまう。

 さらにトイレットペーパーはなかったから備え付けてあるバケツの水でお尻を洗う必要があった」

 

タクヤ「トイレットペーパーが流せないのも一つの問題だよね。細菌や匂いの温床になってしまう。実際日本にきた外国人観光客がトイレットペーパーをゴミ箱に捨てていて、大腸菌が繁殖する問題もあるらしいし」

http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h29/html/nc144210.html

 

ジュン「トイレと同じ部屋に風呂場があるのも気になった。風呂場とはいってもバケツに溜めてある水を桶ですくって浴びるような感じだったけど。床が濡れてしまうのは衛生的に良く無いよね」

 

タカシ「うーん、でも求める基準の違いもあるから、日本のお風呂と比べたときに、一概にどっちが正しいとは言いきれないと思う。これからインドネシアにはもっとたくさんの旅行客がくるだろうし公共施設や観光地のトイレだけでも綺麗にして、病気や匂いを予防したりする方が好ましいんじゃないかな。」

 

カイト「水まわりの設備は気になったけど、街にある水もかなり汚かった。川や側溝の水は白く濁っていたし。下水道が整備されていない地域もあるから生活排水とかを垂れ流しにせざるを得ないのだと思う。ゴミがたくさん浮いていたのも印象に残っているよ」

 

ゴミ問題

 

カイト「川だけでなく道路や観光地でもポイ捨てが目立っていた。ゴミの分別もほとんどできていなかったね。環境問題に対する意識の教育が不十分なんじゃないかな。正しい知識を身につけることで環境問題に対する意識も高まるだろうし」

 

ヒロ「問題は教育だけではなくて、ゴミ処理の仕組みにもあると思う。新興国発展途上国ではいわゆる「ゴミ山」が広がっていることは有名だけど、その理由がインドネシアに行ってわかったんだ。そもそも焼却施設がないことを知ったときは驚いたよ。ゴミを燃やす施設がないからそのまま集積するしかない。だからゴミ山ができる。

 何も問題は焼却施設だけではない。主に東南アジアから放出されているマイクロプラスチックによる生物資源の汚染も重大な問題だ。インドネシアにはプラスチックをリサイクルする施設はあるんだ。これはネットで知った情報だけど、せっかくリサイクル施設はあるのに、お金になるリサイクルしかしないらしい。たとえばコカ・コーラのペットボトルとか。

 

 ゴミ山で暮らす人々は空き缶や一部のプラスチックゴミなどのお金になるゴミを集めて売って生活している。彼らが集めたゴミくらいしかリサイクルされないのが現状なんだ。

 でも、ゴミ山に分別されずに廃棄されるゴミはそこで生活する人にとって「宝の山」なのかもしれないし。ただ焼却施設を建てさえすれば丸く収まるという問題ではないみたい。貧富の格差が大きいことを示す社会問題だよね」

 

タカシ「貧富の差は確かに気になったね。住居や教育の面はもちろん、街中で小さい子が働いているのもたくさん目に付いた。

 

ジュン「お父さんが民族的な被り物して練り歩き、子どもがそれを見た人からお金を取ろうとしていたり、ジャカルタ中心部から少し離れた所では、若い子どもが交通整備してチップを貰っていたりしているところを見たよ」

 

タカシ「子どもが働かなくてはならないのは家庭にお金がないからなのだろうけど、働いているから学校に行くことができなくて、また同じようにその子が家庭を持ったときに貧しくなってしまう……といった負の連鎖になってしまうと感じた」

 

タクヤスマートフォンの普及率からも貧富の差を感じたよ。小さい子どもさえもスマホを持っていたね。想像だけど、所得の低いインドネシアの人々にとっては、買うならパソコンよりもスマホといった状況なんじゃないかな。現にインターネットに関しては、スマホで十分だろうし、PC本体はかなり高いだろうし。

 でも実は、スマホの普及率が高いことにはもうひとつ、設備面の理由があると思う。新興国であるインドネシアでは、固定回線を引くための環境整備が遅れている。PCを使える環境が整っていないから、スマホが爆発的に普及しているのではないかな。地下に光ファイバーなどを通すインターネットインフラの整備には莫大な資金と時間がかかるし、地上に電波塔を建てるくらいで使えるスマホが普及したことにも頷けるね」

 

ヒロ「実際日本でも似たようなことがあるけど開発の恩恵を受けられるのは声の大きい上層部だけだよね。

 民主主義っていいものとして捉えられがちだけど、社会的な地位によって相対的に声の大きさに差が出てしまう問題がある。貧富の差が生じる要因って政治にもあるんじゃないかな」

 

タカシ「どの面においてもほんの一部分だけが綺麗に整備されている現状では、海外からきた人に良い印象を与えられない。でも、こう考えてしまうのは『先進国側の押し付け』とも取れるからなんとも言えないのが正直なところだね。

 ただきちんと整備された状態を保つことのメリットが大きいことも確か。先に解決しなければならない問題が山積みなのだとしたら、ものを大切に使って、壊れないように維持する意識が大切なんじゃないかな」

 

最後に

 

 インドネシアという国が抱える課題について、あれこれ議論してきました。

 

 しかし結局、上記のような貧相な理想を掲げたところで、所詮私たちの言葉は非実用的な妄想でしかないのです。

 あれもこれも、究極的にはそこで生きる人たちの問題です。私たちがどれだけ理論を学び、学術的に正確な考察を広げたとしても、私たちの意見はどこまで行っても他所者の意見にしかなりえない。学術的に正しくても、彼らにとっての正解ではない。すべて、いま、そこで生きている彼らが解決していかなければならないことです。

 だとしたら、今の私たちにできることは、ただ祈るほかにないのでしょうか。

 

 それは違う、と私は声を大にして主張します。

 

 国際的な諸問題について考えることは、相手を理解し思いやることと同義なのではないか。

 だとすれば、私たちの考えが直接実を結ぶことはなくとも、私たちが考えるという行為そのものが新たな繋がりを築き、ゆくゆくは草の根から世界を動かすような原動力たりうるのではないかと私は思います。

新興国インドネシアの現状と課題 前編

 

 今回の話題は、タイトルにもある通り「新興国インドネシアの現状と課題」です。そのまんま、読んで字のごとくです。

 私たちはこれまで、インドネシアの良かった点を紹介してきたつもりです。ですので意向を変え今回は、その正反対の内容、インドネシアの課題について掘り下げていきます。すべて、私たちが現地に赴くことで気づいた内容です。

 また、今回私たちは新しい試みに挑戦します。せっかく複数人のライターがいるので、討論型の記事を書いてみました。

(正直、まとめるのがめちゃくちゃ大変でした。)

 そして、この記事は新しい試みであると同時に、ひとつの区切りにしようとも考えています。この先の展開は乞うご期待、ということで、早速本題に入っていきましょう。 

 

 

世界最悪の渋滞!

 

ヒロ「そんなわけで、今回はインドネシアの課題についてディスカッションしていくよ。

 課題と言われて一番に思いつくのは、やっぱり交通面かな。渋滞、ほんとにひどかったからね」

 

カイト「うん、最近地下鉄が開業したけど、とは言っても公共交通機関はまだまだ未発達。バイクや自家用車を使わざるを得ない。移動時間がかかりすぎて生産性が低下してるんじゃないかな?」

 

ヒロ「世界最悪の渋滞がもたらす経済的損失は、かなり有名な話だね。損失額は年間100兆ルピアと言われている。1円=120ルピアとして、日本円にして約8300億円にのぼる莫大な額だね。

 最近、首都をジャワ島の外に移す計画が決定されたみたいだよ。候補としては、ジャカルタから見て北東にあるカリマンタン島中部の都市などが挙がっているらしい。

 首都移転の理由は実は渋滞による経済的損失の解消だけでなくて、過剰な地下水利用による地盤沈下から、異常気象時の洪水のリスクが高まっているからという理由もあるらしいんだ」

 

カイト「話を戻そう。渋滞の原因だけど、スプロール現象も一因じゃないかな。ジャカルタでは無計画に都市開発が進められているせいか、道路の広さや道路の環境が全く異なっていた。広い道路と狭く、整備されていない道路が混在しているとどうしても狭い道路で車が詰まって渋滞を助長しているように見えたよ」

 スプロール現象スプロール現象とは、都心部から郊外へ無秩序、無計画に開発が拡散していくこと。計画的な街路が形成されず、道路、上下水道、学校や病院等のインフラの整備も立ち遅れる。

 

タクヤ「渋滞もひどかったけど、交通マナーもひどかったと思う。さすがに原付のノーヘルはアウトらしいけど、人数制限はないんだって。もしこのまま公共交通機関が発達して道路の交通量が減ったら、スピードも出しやすくなるだろうし、同時進行で解決していかなければならない問題なんじゃないかな。

 交通量が減ったら、今は圧倒的に利用者が多いサービスであるGrabとかGojekみたいなバイクタクシーの雇用も減るからそのあたりの対策もこれから考えていかないといけないと思う」

 

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ジュン「現地人にとっても不便だろうけど、あそこまでひどい渋滞に慣れていない外国人観光客にとってはなおさらだよね。僕なんかトイレ漏れそうになったし。でも、交通渋滞が解消されてしまうと、渋滞で止まっている車に押しかけて、水や食べ物を売っていた人の仕事が無くなっちゃうんじゃない?」

 

ヒロ「現在ニーズのある職がなくなってしまう可能性があるのか。交通量が多くて、しかも信号がない交差点で交通整理をしてチップをもらっていた人もいたね。渋滞の緩和によって経済的な損失がすべて解決される、と言うわけではなさそうだね。

 ところで、押し売りや交通整理でお金を稼いでいた彼らは、ほんとうにあれが本業なのかな?」

 

ジュン「どうなんだろう?

 交通渋滞もだけど、道路の危険性も気になった。インドネシアでは歩行者優先じゃなかったし、横の車同士の間隔もかなり狭かったよね。滞在中に交通事故が起きなかったのが不思議なくらい。日本人が運転したら絶対事故を起こすなって思った。これから海外の人がインドネシアに行く機会も増えるかもしれないから、道路を広くしたりして欲しいね」

 

 乱雑な都市開発

 

タカシ「渋滞も気になったけど、ビルや橋が果たして大地震などの災害に耐えられるのか、見ていて不安になったよね。インドネシアも日本と同じで災害大国でしょ。もし大地震に耐えきれなくてジャカルタの機能が停止したら、インドネシア全体が被害を受けるだろうし。インドネシアが世界で人口が4位ってことを考えると被害はインドネシアだけじゃ収まらないかもね」

 

タクヤ「やっぱり安全対策は日本の方が徹底しているよね。インドネシアでは、高速道路の高架の支柱が驚くくらい細くて、すごいびっくりした」

 

カイト「スラム街の建物は、耐震構造が考えられていないように見えた。もし地震が起きたら大打撃を受けるんじゃないかな?」

 

ヒロ「スラムは地震だけじゃなくて、台風でも甚大な被害を受けそう。家と家の距離が近いから、乾季は火災の延焼も心配。スラム街だけでなく、単なる住宅街でも家と家の距離の近さは気になった」

 

タカシ「そういった意味でも、開発が乱雑だったね。バスから外を見ていて、ビル群が切れたなぁと思ったら一面にスラム街が広がっていたり。なんというか、ごちゃごちゃしていたね」

 

タクヤ「乱雑さといえば、ビル群とスラム街もそうだけど、古いものと新しいものが混在している様子がたくさんあったなあ。例えば、郊外の電線なんかは、断線した送電線を取り除かずに新しい線を張って、切れたものは新しいものに巻きつけられていたよね。重さで電線がすごく弛んでいた。電柱も傾いていたし、電柱はそんな新しく張った電線の重みに耐えられるのか疑問だよね。

 やっぱり新興国インドネシアでは子供が多いから、断線した電線を放っておくのは危険だと思うな。

 あとは、ショッピングモールでは、エスカレータやエレベータが壊れたまま放置されているのがすごい気になった。ものを壊れたままにしておくのは見栄えも悪いし、なんとかならないのかな」

 

経済成長と環境保全の両立ってできないの?

 

ヒロ「現状では直さないところがたくさん、そして作らなくてはいけないものもたくさんといった感じだね。また新たな開発が必要だ。

 でも、環境破壊を考慮していないような開発が気になった。

 さんざん環境を破壊し尽くした日本人に言えることじゃないけど……。

 自分たちを反面教師に、自然環境と経済成長を両立した開発をしてほしいけど、難しいのかなあ。

 すでにジャカルタでは、道路敷設に際して多様で豊かな街路樹を大量に伐採してしまったらしい。市民からは当然、反対があったみたいなんだけど……」

 

タカシ「インドネシアはまだ発展している最中だから、まだ方針を考える余裕があると思う。せっかく先進国という良い手本、悪い手本があるんだから、環境問題や、貧富の格差・都市部と地方の格差といった発展による弊害を考えて欲しいな。急激な経済成長は素晴らしいことなんだけど、どこかで冷静になって振り返るってのも必要じゃないかな」

 

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ジャカルタ

 

ヒロ「ビル群とスラム街、壊れたままの古いものと急速につくられる新しい施設、下手したら東京よりも大きいかもしれないジャカルタと田舎。格差は大きかったね。ちぐはぐだ。

 地方政府によっては、景観を守るために過度な開発をしないようにしているところもあるみたい。でも、結局、地方の人は稼ぎを求めて都市部に出てきちゃうわけでしょ? 景観を守ることがそんなに大切なのかなあ」

 

タカシ「観光資源じゃない?」

 

ヒロ「誤解のないように言っておくと、これは『視点を変えればこういう見方もできる』ってことの一例であって、別に俺が本心で思っていることではないんだけど。

 でも、そこに住む人全員が観光業で儲けているわけじゃないことは事実でしょ? 

 これは日本でも言えることだけど、開発を進める人たちは、そこに住む人の顔が見えていない。果たして本当に住民を幸せにする開発なのかな? 当然、全員を不幸にする開発でもないのだろうけど。人の手が入りすぎていない地方の自然に誇りを持っている人だって多いだろうし。ほら、田舎出身の人がやけに地元に誇りを持っていることって、大学入るとよく聞く話じゃん。

 本当の意味で『よい開発』ってどんなものをさすんだろうって思うよ。あっちを立てればこっちが立たないって事態は往々にして起こりうるわけだ。

 視点を変えて考えると、なにが正しいのか、よくわからなくなってくる」

 

 

 次回は、格差問題や衛生環境について議論していきます。

 

 乞うご期待。

 

 それでは。

 

 

 

 

おまけ 人物紹介

 

ヒロ:チームの頼れるリーダー。議論などでは発言、進行ともに秀逸である。とは言っても普段はおちゃらけていて人を笑わせることしか考えていない。小学校で人を笑わせることの味をしめてから、中学校、高校生とお笑い王の称号をほしいままにしてきた。しかし大学入学一発目の自己紹介で不幸にもクソ寒いギャグを披露してしまい人生初の滑りを経験する。始めの一ヶ月は人権がなかった。しかし、授業や議論などにおいては真面目な姿勢を見せられるため、次第に人権を取り戻した。ちなみに、似ている芸能人は登○○臣(自称)。

 

タクヤ:チームのムードメーカー。大好きな食べ物は「ラーメン二郎」。週3で通っている。口癖は「二郎に住みたい」。その食の嗜好に違わず、ポッチャリ成人病まっしぐら体型。しかし、こいつ、ただのデブではない。クラスに一人は必ずいると言われている「動けるデブ」なのだ。しかも、動けるだけでなく気配りまでできる最高のデブだ。どこに行ってもタクヤを中心として大きなグループができる。小学生時代、休み時間のサッカーのポジションは、もちろんいつでも「キーパー」。

 

カイト:チームの頭脳。一人っ子で病弱なため小さいころから両親に大事に育てられてきた。そのため内向的な性格で教室の隅で読書をしているようなおとなしいやつだった。高校生の頃にタクヤに出会い初めて友達と言える友達が出来る。頭の弱いタクヤに勉強を教えその度に二郎(あまり好きじゃない)に連れてってもらった(しかも自腹で)。奇跡的に二人は同じ大学に進み、自分を変えようとタクヤと共にこの研修に参加することを決める。ちなみにチームメンバー的には「カイトはそんなに内向的じゃない」そうだ。

 

ジュン:チーム一のイケメン。その美貌はもはや松○。口数が多いが、二枚目なのになぜか硬派でみんなからの好感度が高い。芯の通ったやつで、何事にも自分に嘘はつかず必ず責任を持ってやり遂げるストイックで熱いやつ。そのため、その性格と容姿から男女共から好かれる正真正銘のイケメン。心も顔もイケメンすぎていつも後光が差しているように見える。神は、彼に二物を与えてしまったのだ。

 

タカシ:タカシという名前なのに身長が低しであることにコンプレックスを感じている。チームの中では頭一つ抜けて背が低い。しかし、そのコンプレックスをバネに体を鍛え上げ、ラクロス部のエースとして活躍している。最近彼女が出来たらしく、部活とバイトでただでさえ忙しいのに恋愛が加わり、過労死するのではないかと心配されている。好きな食べ物はうどんとシーザーサラダ。すき家のシーザーサラダ牛丼を考案した人は今年のノーベル平和賞を受賞するはずだと信じてやまない。

「お茶の間」のはなし

 みなさまお疲れ様です。時代も変わり、10連休は非情にも私に何も残さず過ぎ去っていきました。いかがお過ごしでしょうか。

 

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新鮮な巡り会い、シンプルな感情。

 

 これまで、私たちはインドネシアで過ごした短くも濃密な1週間の思い出を、ごく断片的に書き留めてきました。

 インドネシアを訪れてはじめて見たもの、知ったこと、そして、感じたこと。それらを想起し、もう埃がうっすらと積もってしまった記憶を引きずり出し、足りない語彙を絞り出して、なんとか文章を書くたびに私は思います。

インドネシアはなんていい国なんだ。」と。

 そして、人生のこのタイミングでインドネシアに行けたことの幸せを噛み締めるのです。

 

 インドネシアは、それくらい「いい国」です。

 

 でも、私は行く前からインドネシアが好きだったわけではありません。

 

 語弊があるので言い直します。渡航前、私はインドネシアについて何も知らなかった。何も知ろうとさえしていなかった。

 

 だからでしょうか。インドネシアで見たもの・食べたもの・出会った人々。それらすべてが私の目には、新鮮に映りました。

 現地の方々は暖かく歓迎してくださり、私の知り得ないところで、見ず知らずの私たちをこんなにもよく思ってくれている人たちがいることを実感しました。

 すべての物事には理由があるとはよく言ったもので、これにもきちんと理由があるのですが、そんな小難しくて退屈な話はひとまず棚に上げておいて、そのことが、嬉しかったんです。ごくシンプルに。

 

 想像してみてください。

 

 初めて行く場所。当然、自然に用いている言語も通じない。そこで「日本の魅力発信」というミッションを与えられ、英語でプレゼンをしなければならない。プレゼンの準備も不十分で、お世辞にも面白くない。

 正直、不安しかない状況です。

 そんなことを考えながら現地の大学に到着しました。ダルマ・プルサダ大学という私立大学です。学生さんたちは、私たちが会場に入り席に着くと、笑顔で話しかけてくれました。

 このことがどれだけ私の不安を解消してくれたことか。

 昼食を食べながら、あるいは帰り際に別れを惜しみながら、彼らとたくさんのことを話しました。彼らが日本に来たときのこと、オススメのインドネシアの食べ物(たいてい、彼らはドリアンを勧めた)、好きなアイドルのこと。

 月並みな話ばかりだったような、そうではなかったような、今では鮮明に思い出すことさえできません。しかし、あたかも旧知の仲であったかのように、一日中、話が尽きることはありませんでした。

 楽しかったという感情や嬉しかったという感情だけは、忘れることができません。

 

 他の日も他の場所でも、現地の方々は同じように暖かく歓迎してくれました。

 

 こんなの、嬉しくないわけがない。

 

 しかし、嬉しかったのと同時に後悔しました。恥ずかしく思いました。なぜ、世界にはこんなにもいい場所があるということを知ってさえいなかったのか、と。

 

身近に感じるということ

 

 これは、単なる私の感情的な話です。

 

 このブログをお読みいただいている方々は、インドネシアという国についてどれくらい知っていますか? 

 

 インドネシアでは日本がリスペクトされていることとその理由。

 日本はインドネシアにとって最大のODA提供国であること。ODAによってインフラ整備や人材育成に貢献してきたこと。だから、日本が作ったものが現地にはたくさんあること。ODAのみならず、日系企業や民間による投資も進んできていること。

 そして、日本とインドネシアは距離が近いこと。インドネシアには世界で2番目に多くの日本語学習者がいること。

 また、インドネシアの料理は日本人の(少なくとも私の)口に合い、すごく美味しかったこと。

 正直、とっつきにくい話題だし、イメージも湧きにくい。

 

 書き出したらキリがありませんが、私はこんなことは少しも知らなかった。知っていたことといえば、東南アジア諸国親日国家らしいということくらい。

 あるいは、私が常識に欠けているから知らなかっただけかもしれません。アンテナが低かったから、勉強不足だったから、知らなかっただけかもしれません。

 かもしれません、ではなくて、おそらくその通りなのでしょうが。まあ、それでも、日常生活に不便したことはありませんでした。

 

 私はお世辞にも、国際的なトピックに興味のある、いわゆる「意識の高い」子どもではありませんでした。

 でも、アメリカの大統領の名前は知っています。TPPが発行されて、なにやら騒動があったことも記憶に新しいです。そして今も、関税をめぐり中国とやりとりを重ねていることも報道されています。話題に欠かない国です。インドネシアよりもよっぽどアメリカに詳しい、という人も決して少なくはないでしょう。

 

 なぜでしょう。

 理由の一つは、これらの話題が、いつも晩御飯を食べているとき、なんとなくお茶の間のTVから流れているからではないでしょうか。それも、毎日のように結構な頻度で、それなりに長い尺をかけて重く報道されているからではないでしょうか。

 

 インドネシアという国について少しだけ知ることができた今、ひとつ思っていることがあります。

 インドネシアと日本の美しい関係が、「お茶の間の話題」にあがるような、そんな自然で当たり前なものになったらいい、と。

 まるで日本とアメリカの関係のように。

 

 アメリカンでジャンキーな宅配ピザが夕飯の食卓にあがるのならば、ナシ・ゴレンが同じように食卓に上がる日が来てもいいのではないでしょうか。ニューヨークの話題が自然に上がるのなら、ジャカルタの話題も同じように上がってもよいのではないでしょうか。

 

 インドネシアを、それくらい身近な存在に感じてみませんか。

 インドネシアに限らず、国名と人気観光地しか知らないような国のことを、もっと身近に感じてみませんか。

 

 見える景色がすこしだけ、かわるかもしれませんよ。